「将棋というゲームの本質的な部分だとは思うのですが、可能性のある手はたくさんありますが、指したとしてもプラスになる手は限られています。というか、指さないほうが良いぐらいのマイナスになる手がたくさんあるんです。だから殆どの手は、消去法的に選ばないという感じです。」
将棋には一局面で80手前後のルール上許される着手があるのですが、そのほとんどはパスをするより酷い手ばかりだということです。なのでルール上は許されないパスを便宜的に許して、先にパスした場合を探索するとそれが割といい手を先に選択したことと同じことになり、αβ法の効果を上げる事が出来るのです。
麻雀ゲームが弱い理由(と羽生2冠が強い理由)~読みと見切り編~: マッタリプログラミング日誌 (via plasticdreams)七つの女の子と話をしていたら、作文が終わらなくて困っているという。彼女は小さい子にしては要領よく話すんだけれども、なにしろ七歳は七歳なので、話がくどい。しかもしょっちゅう脱線する。最後まで聞いて推測するに、どうやら何を書いて何を省くかがわからないので作文が長くなっている、ということらしかった。
学校の授業の作文で七五三の話を書くことにして、けれども原稿用紙六枚書いてもまだ、当日の朝ごはんが終わらない。メニューとその匂い、湯気のようす、パンの焼き加減の好みに関する主張で六枚目が終わってしまった。今までのぶんを捨てて書き直すべきか、という意味のことを、彼女は言う。読ませて頂戴というと、ずいぶんとはずかしがってから、結局読ませてくれた。
八枚切りのパンを焦げるぎりぎりのところまで熱してからバターを塗り、しみこませて食べる、ジャムはパンに塗るべきではない、ヨーグルトにいっぱい入れたほうがいい、なぜなら赤(いちごジャム)やむらさき(ブルーベリージャム)が白いのに混ざるのがおもしろいから、あと、わざとちゃんと混ぜないで甘いところと甘くないところをつくる、生の食パンとか意味わからない、不味い、というようなことが延々と書いてあって、私はいたく感動した。ニコルソン・ベイカーみたいだ。徹底した脈絡のなさがすばらしくリアル。他者の価値観を一顧だにしない主観がなんてクール。
たぶん彼女は記憶と思考を選ぶことが、まだうまくできないのだ。それに抽象概念の操作にも慣れていない。だから頭の中を時間軸だけで切り取ったような文章を書いている。
これはすごくいい文章だよ、と私は言った。七五三なんか放っておいたっていいじゃない、ここはひとつ朝ごはんまででいこうよ、捨てちゃうのもったいないよ。私がそう提案すると、彼女は重々しくうなずいて、まあね、これ自分でもわりと気に入ってる、と言った。
でも彼女はそういう作文を書きつづけるにはいかないことをちゃんと知っていて、きれいにまとまった文章を作る方法を知りたがってもいた。だから私は作文を終わらせる方法を教えることにした。
あのさ、まず書くことを決めるじゃない、最初に。七五三とか。で、書くことの前とか後とかあるでしょう。七五三の日の朝ごはんみたいなこと。それはちょっと短くする。どうやって短くするかっていうと、八枚切りのパンを反りかえるまで焼いてから反対側もちょっとあぶって、それからバターをつけて、って書きたいところを、お父さんとお母さんと一緒にパンを食べました、って書くんだ。もちろんお母さんが起きてからよくわからない部屋着に着替えてそれから出かける格好になることの謎についてとか、お父さんのひげそりの音が変化に富んでいて魅力的だということとかは書かない。もっと省きたかったら、ただ「朝ごはんをすませて」、って書く。文いっこもいらない。
もっと短くしたかったら、と彼女は訊いた。私は彼女の真似をして重々しくうなずき、「支度をして家族みんなで家を出ました」って書くの、と言った。もっと、と彼女が言うので、神社の階段を登っているところから始めてもいい、と私は教えた。もちろん一日は朝起きたところからはじまる、でも作文では石段に足をかけたところからはじめてもいい、なんなら帰ってきたところからでもいい。
彼女はやはり重々しくうなずき、ありがとう、と言った。どういたしましてと私はこたえた。
でもそれはほんとうはつまらないことなのだ。誰かの要求にあわせて作文を刈りこむなんて、書く意味があることとないことをふるいわけるなんて、所定の枚数にきれいにおさめるなんて。思いついたことは思いついた順に全部書けばいいんだけどな、と思う。
作文が終わらない - 傘をひらいて、空を (via kml) (via matsumi, matsumi) (via shortcutss, shortcutss) (via bo-rude, bo-rude) (via sironekotoro, sironekotoro)変わり者の哲学教授が学期末に最終試験を実施した。
クラスの全員が集まったところで、教授はイスを机の上に置き、こう言った。
「今学期に学んだ全てを使ってこのイスが存在しないことを証明しなさい」
学生はいろんな理論を駆使し、書いたり消したりして、答案用紙を埋めていった。
30ページを越える答案を書いたものもいた。
ところが一人だけは一分もしないうちに立って教室を出て行ってしまった。
数週後に成績が発表されたとき、みんなはなぜこの学生が「優」を取れたのかを不思議がった。
彼はほとんど書いていなかったのだから。
みんなは彼の答案の内容を知りたがった。
彼の答案用紙には、こう書かれてあった。
「どのイス?」
2009-02-11 (via rairaiken424, pocopoko) (via zaki123) (via megane4141) (via teokure) (via taku007) (via aki373) (via hkdmz) (via zettaimuteki) (via fakedelica) (via azsa2go) (via zenigata) (via breaksole) (via homh) (via tame-o) (via sironekotoro)
岩崎:これは将棋のルールを知っている人でもあまり知らないことなのですが、自分の「角」の前にある「歩」のところに、ものすごく隙があって、ここから勝負が始まるように将棋盤はデザインされているんですね。将棋を考えた人は天才だなと感心しました。
佐藤:そうですね。「角」は前に進めないですから、その前にある「歩」を取られたら、「角」も失ってしまう。ここから攻めるのが将棋のパターンの一つですね。
岩崎:その左隣にある「歩」は、「香車」と「桂馬」と「角」の3つがかかっていて、守られているのに、「角」の目の前にある「歩」を守っている駒はない。こうした隙を作ることで、将棋に「序盤」の攻防というものが起こるようになっている。これを考えた人はすごいですよ。
「羽生世代」の棋士はなぜ強くなったか?:日経ビジネスオンライン (via futureisfailed)自分自身で許可する人たち、である。
もちろん、その後者になりましょうという趣旨なのだけど、
具体的に「許可」とは、以下のようなことを指している。
・常識を疑う許可
・世の中を新鮮な目で見る許可
・実験する許可
・失敗する許可
・自分自身で進路を描く許可
・自分自身の限界を試す許可
本書では著者の講座での様々な試みが紹介されているが、
そのうちのひとつで「常識を疑うスキルを磨く訓練」として
紹介されていたものが面白かった。 汝、汝を許可せよ。―[書評]20歳のときに知っておきたかったこと 負けまいとする心でしょう! (via usaginobike) (via technicalsato) (via lovecake) (via yaruo)
2010-05-15 (via gkojay) (via usaginobike) (via ppparallelll) (via edieelee) (via yoichi13) (via hisame) (via flatmountain)
Barbados vs. Grenada in ‘94: The Most Bizarre Match Ever | Bleacher Report
本の虫: 1994年のバルバドス対グレナダ戦では、オウンゴールを意図的に行い、また相手のオウンゴールを阻止する戦法が行われた (via petapeta)サッカーにおける、基本的な勝利の方法とは、ポストの間にボールを蹴り入れることである。ポストとは、もちろん相手側のポストである。このことに最も長けているチームが、試合に勝利するのだ。
ほとんどの場合、これは事実である。しかし、1994年の悪名高いバルバドス対グレナダ戦では、この論理が逆転してしまった。
カリビアンカップのトーナメントの最終グループの試合において、バルバドスが決勝戦に進むためには、グレナダに二点差で勝利する必要があった。90分間の試合の結果が引き分けである場合、延長戦に持ち込まれるが、問題は、バルバドスは二点差で勝利しなければ、グレナダの代わりに決勝戦には進めないのだ。興味深いことに、主催者はゴールデンゴールの得点を2点にするよう、ルールを定めていた。
[訳注:この当時のサッカーは、ゴールデンゴール制を採用していた。ゴールデンゴールとは、サッカーの延長戦である前後半15分づつの計30分の中で、どちらか一方が一度ゴールしたならば、そのゴールをゴールデンゴールと名づけ、その時点で延長戦を打ち切るというルールである。バルバドスが2点差を付けなければ、真の意味で勝利できないこの状況では、ゴールデンゴールの得点が1点では、バルバドス側に延長戦を行う利点はない。主催者は、勝利が単純に、この戦いのみで決定されるフェアなルールにしようと考えたのであろう。]
バルバドスが2-0でリードしていたが、残り7分というところで、グレナダが2-1に差し戻した。バルバドスがこのまま得点できなければ、試合は終わってしまう。
あるバルバドス選手は,残り数分というこの状況で、防御に徹するグレナダを相手にゴールを決める望みは薄いと判断した。むしろ、勝利する可能性は、この試合を延長戦に持ち込み、2点が得点される特別なゴールデンゴールを決める方が高いと判断した。
そこで、彼は戸惑うゴールキーパーをよそに、自分のゴールポストにボールを蹴りいれた。
さて、グレナダ側にとって、ここで、どちらのゴールポストでもいいのだが、ゴールを決めなければ、決勝戦出場を決める延長戦に突入してしまう。グレナダ選手は、はじめ相手のオウンゴールに驚いたが、すぐにその意図を理解した。そこで、彼らも自分のゴールポストに疾走した。
[訳注:グレナダ側にとっては、1点差で負けても決勝戦に進めるので、この時点でどちらのゴールに決めても勝利する。]
さて、喜劇の始まりだ。バルバドス選手はこの動きを予想していたので、延長戦のホイッスルが鳴るまで、自分のゴールに加えて、グレナダ側のゴールを守るために走った。こんな奇特な小説は、誰が書けるというのか。
結果として、バルバドス側の悪賢い戦法は功を奏した。延長戦の4分というところで、バルバドスのストライカーがゴールを決めることに成功し、バルバドスが決勝戦に進むことになったのだ。
予想通り、グレナダ側はまったくもって感心しなかった。グレナダのマネージャーであるJames Clarksonは怒りもあらわに言った。「これはセコいやり方だ。こんなルールを考えだした人間はマッドハウス送りにするべきだ」
「フィールド上に混乱した選手だらけの試合などあっていいはずがない。我々の選手は、自分のゴールと相手のゴールとで、どちらを攻撃すべきなのかもはっきりしていなかった。こんな試合は見たことがない。サッカーでは、勝つためには相手側に対して得点を決めるべきであり、自分側ではない」
証拠としては、この動画を見るといい
本書に登場する「日産の会議」のなかで、やはり一番驚くのは「意思決定者が出席しない」というルールである。
正確に言うと「意思決定者は最初と最後しか出席しない」のだが、なぜ意思決定者を退席させるかというと、意思決定者が会議に在籍して発言するデメリットが大きいと判断したからだ。ふつうの会議を思い出せば分かると思うが、意思決定者(通常は、会議の出席者の中で一番のエライさん)が会議で発言すると、反対意見が出にくくなってしまう。お追従や、顔色うかがいのための会議になってしまいやすいのだ。おまけに、エライさんが会議の趣旨を変えて議論を脱線させても、誰も止められない。
発想を変えて意思決定者に退席してもらうと、エライさんの顔色をうかがう必要がなくなる。発言者の名前を書かずにホワイトボードに意見を並べるようにすることで、出席者どうしは安心して活発な議論を展開することができる。だから「日産の会議」では、最後に意思決定者が登場して採否を決める、という方法を採用したのだ。
「意思決定者を出席させない」ルールをつくった - 産業動向 - Tech-On! (via mcsgsym)(Source: takaakik)
